大阪地方裁判所 平成4年(ワ)564号 判決 1992年11月05日
原告
中川光孝
ほか一名
被告
朝田恭弘
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告中川光孝に対し金一一一二万八三一七円、原告中川勝司に対し金一一一二万八三一七円及びこれらに対する平成三年五月二八日から支払済みに至るまで各年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二事案の概要
信号機により交通整理の行われている交差点を横断中、普通乗用自動車にはねられ死亡した被害者の遺族である原告らが、右車両の運転手かつ所有者である被告に対し、民法七〇九条ないし自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき損害賠償を求め提訴した事案である。
一 争いのない事実等
1 次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
(一) 日時 平成三年五月二八日午後一一時一五分ころ
(二) 場所 大阪市生野区巽中一丁目一八番二号先交差点(以下「本件交差点」という。)
(三) 加害車両 被告が所有し運転していた普通乗用自動車(大阪三五ろ九〇二八、以下「被告車」という。)
(四) 被害者 訴外中川美代子(以下「美代子」という。)
(五) 態様 信号機のある交差点を北から南に横断した美代子を東から西に走行していた被告車がはねたもの
(六) 結果 本件事故後、美代子は、大阪赤十字病院に搬入されたが、同月三〇日午後〇時五二分、本件事故に基づく脳挫傷による外傷性くも膜下出血により死亡した(乙第二号証の六)。
2 損害のてん補
原告らは、自動車賠償責任保険により二六二三万円の支払いを受けた。
二 争点
被告は、被告車の運転に関し注意を怠つておらず、同車に構造上の欠陥、機能の障害は存しなかつたところ、本件事故は、美代子が赤信号を無視して本件交差点の横断をしたため生じたものであるから、被告は免責されるべきであり、仮にそうでないとしても、大幅な過失相殺がなされるべきである旨主張する。
第三争点に対する判断
一 免責及び過失相殺の主張について
1 事故態様
前記争いのない事実に加え、後掲の各証拠によれば、本件事故の態様として、次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場は、東西に通じる片道二車線の道路(以下「本件道路」という。)と南北に通じる道路(以下「南北道路」という。)とが交わる、信号機により交通整理の行われている交差点内にあり、本件道路の西行車線は、南から一車線目が幅員四・一メートル、二車線目が同三・三メートルあり、その北側に中央分離帯、さらに北側に対向する東行車線があり、西行車線及び東行車線のそれぞれ南側、北側には、それぞれ幅四・五メートルの歩道及び自転車道がある。同道路は市街地にあり、本件交差点の周囲は、スーパーマーケツト、ガソリンスタンド、駐車場等があり、東西南北にそれぞれ横断歩道がある(そのうち、本件交差点西側の横断歩道を以下「本件横断歩道」という。)。本件道路は、アスフアルトで舗装され、終日駐車禁止、速度規制時速五〇キロメートルの平坦な道路であり、本件事故から約二〇分後以降に行われた実況見分の際、交通量は、三分間で約三〇台であり、路面は乾燥し、本件交差点は周囲にある水銀灯のため明るかつた(乙第二号証の一七、二九)。
本件事故当時の本件交差点の信号の周期は、南北道路の歩行者用信号、車両用信号が共に青色(本件道路の信号は赤色の状態)になつて以降、四一秒後に南北道路の歩行者用信号が青点滅(四秒間)となり赤色となつた時点で、同道路の車両用信号が黄色(三秒間)となる、そして、同交差点の全ての歩行者用信号、車両用信号が赤色(三秒間)となつた後、本件道路の歩行者用信号、車両用信号が青色となり、七〇秒後に同道路の歩行者用信号が青点滅(四秒間)となり赤色となつた時点で、同道路の車両用信号が黄色(三秒間)となり、その後、同交差点の全ての信号が赤色(三秒間)となるというものであつた(乙第二号証の一六)。
(二) 平成三年五月二八日午後八時半ころ、美代子は、知人である木原敏雅こと李道植(以下「李」という。)と共に、居酒屋においてビール、日本酒及び数品の肴を飲食したが、李が酔いのため気分が悪くなり、店を出た時点で嘔吐するなどし、さらに二人でたずねた知人宅も留守であつた。その後、帰路、本件交差点に差しかかり、美代子と李は、タクシーをひろうため、本件横断歩道を北から南へ横断しようとした際、酔いのため対面信号が赤色を呈していることに気づかず横断を開始した(乙第二号証の二五、一七、二七)。
被告は、被告車を運転し、本件道路の西行車線(南から一車線目)を時速約五〇キロメートルで西進中、本件交差点に差しかかり、同交差点の六〇数メートル手前で対面信号が青であるのを確認した後、進路右方のスーパーマーケツトや左方にいた単車を見るなどしながら、同交差点に進入したところ、本件横断歩道を二人連れの男女である李と美代子が横断しているのを八・五メートルまで近接して初めて発見し、急制動の措置を講ずるとともに、ハンドルを左に切り、衝突を回避しようとしたが及ばず、自車前部を李及び美代子に衝突させ、両名を十数メートル跳ね飛ばし、美代子に脳挫傷等の傷害を負わせた(乙第二号証の一七、二七)。
(三) 右事実に関し、原告らは、美代子は青信号に従い横断した旨主張しているので、この点につき、検討を加える。
右主張にそう証拠として、捜査段階における李の供述中には、横断直前、本件交差点の南行道路の車両用信号を見たところ青色であつたと記憶している旨の箇所があり(乙第二号証の二五)、また、同人の実子である木原こと李幸美(以下「幸美」という。ただし、離婚のため、別居中)の同供述中には、本件道路の東行車線を自転車で西進中、本件交差点の南北道路を赤信号を無視して横断後、間もなく本件事故が発生した旨の箇所がある(同号証の二三、一四)。
しかしながら、李は、本件事故当時、前記のとおり居酒屋を出た直後嘔吐するほど酩酊していたのであり、その認識、記憶の正確性には多大な疑問がある。また、幸美は、本件事故後、本件横断歩道付近まで戻り、さらに同横断歩道を横断してはねられた男女の様子をながめ、男性が救急車により運ばれるのを目撃していながら、それが実の父親であることに気づかず、帰宅後、李が事故にあったことを知り、ただちに病院へ行き、事故の目撃状況を李に話したとしながら、事故から五〇日後まで捜査機関に何の連絡もしなかつた(同号証の二三)というのはいかにも不自然であり、にわかに信用し難い。
しかも、本件交差点の北東角にあるマンシヨン「ミユーズの館」二階ベランダから本件事故を目撃していた金井静子こと徐外順は、右南行道路の車両用信号が赤色の時、酒に酔つていると思われる二人連れの男女がフラフラし相互に抱き抱えるようにしながら本件横断歩道を横断し、事故にあつたのを目撃したと供述し(同号証の二〇)、本件道路西行車線の南側にある歩道及び自転車道を自転車で西に向かい走行していた鍵山美智子は、本件交差点南側横断歩道手前に停止した際、二人連れの男女が同交差点北西角の歩道を西に歩いて行くのを目撃したが、同横断歩道の歩行者用信号が青に変わつたので、西側横断歩道前を通り過ぎ、右自転車道を西進していたところ、約三〇秒後に衝突音がしたので衝突音の地点まで戻つてみると本件事故が生じていたと供述し(同号証二一、一八)、本件道路東行車線の北側にある歩道を歩いていた金谷一郎は、本件交差点で急制動・衝突音を聞いたため、事故現場に直行したが、当時、金谷が対面していた西行の歩行者用信号は青色であつたと供述している(同号証二二)。右各供述は、事故状況いかんと何ら利害関係のない第三者により、事故からほぼ一〇日以内に捜査機関に対してなされた供述であり、供述内容において不自然な点が見当たらないことからも、十分に信用に値するものといわざるを得ない。
以上から、美代子らが酔いのため赤信号に従わず本件横断歩道を横断し本件事故に遭つたことは明らかであり、青信号に従つて横断したとの前記原告らの主張は採用しない。
2 免責及び過失相殺の主張について
(一) 免責の主張について
右事実をもとに、被告の免責の主張について判断する。
本件事故は、被告車が青信号に従つて走行していたのに対し美代子らが赤信号に従わず横断歩道を横断したために生じたものではあるが、現在の交通環境は未整備であり、歩行者に対する交通教育が不徹底である状況に照らすと、歩行者が皆一様に交差点の赤信号に従い停止するものと信頼し得る前提を欠いているものといわざるを得ず、いわゆる信頼の原則は本件に関しては適用され得ないものというべきである。そして、本件事故直前における被告の運転態度をみると、前述したとおり、進路右方のスーパーマーケツトや左方にあつた単車を見るなどしながら同交差点に進入し、そのため赤信号を無視して横断歩道を横断していた美代子らの発見が遅れ本件事故を惹起したものであるから、前方注視義務を十分に尽くしたとは言い難いものがあり、被告は、自賠法三条但書により免責されるための要件を充たしていない。
したがつて、被告の右免責の主張は採用できない。
(二) 過失相殺の主張について
前記のとおり、「被告には前方不注視の過失があるが、他方、美代子にも、歩行者側の信号が赤色灯火の場合には、歩行者は横断を開始してはならないにもかかわらず(道路交通法施行令二条一項)、酩酊の上、夜間、赤信号を無視して横断歩道を横断した過失がある。
両者の過失を比較すると、被告主張のとおり美代子の過失がより重大であるといわざるを得ず、本件事故の七割は同女の過失に起因するものとみるのが相当であるから、後記損害額から同額を減額控除すべきである。」
二 損害
1 原告らが相続により取得したもの
後掲の証拠により、美代子に生じ、原告らが相続により承継取得した損害賠償債権の対象となる損害は次のとおりである。
(一) 逸失利益(主張額二四九八万六六三五円) 二四九八万六六三五円
美代子は、昭和一八年三月七日生まれの女子(本件事故当時四八歳)であり、主婦として家事労働に従事していた者である(乙第二号証の二四、六)。家事労働についても労働社会において金銭的に評価され得るものである以上、相応の財産上の評価をすべきところ、現在の社会情勢等にかんがみると、右家事労働の価額は女子労働者の平均賃金を下回らないものと解すべきであり、また、その就労は、一般の労働者の場合と同様、少なくとも満六七歳に至るまで可能と解するのが相当である。
本件事故があつた平成三年の賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の四五歳から四九歳までの平均年収額が三二四万二〇〇円であることは当裁判所に顕著な事実であるから、美代子の家族構成、主婦として家事に従事していたことその他の事情に照らし、生活費控除を四割と認め、ホフマン方式により中間利息を控除すると、美代子の死亡により逸失利益は、次の算式のとおり二五四九万九〇七七円となる。
三二四万二〇〇円×(一-〇・四)×一三・一一六=二五四九万九〇七七円(一円未満切り捨て。以下同じ)
したがつて、美代子の逸失利益は、少なくとも、原告らが主張する二四九八万六六三五円を下回らなかつたものと認められる。
(二) 慰謝料(主張額二〇〇〇万円) 一八〇〇万円
本件事故の態様、美代子の主婦としての地位、家族環境等を考慮すると、本件事故による慰謝料としては一八〇〇万円が相当と認める。
(損害合計四二九八万六六三五円)
2 原告ら固有の損害
葬儀費用(主張額原告各自七五万円) 計一二〇万円(各自六〇万円)
美代子の社会的地位、家族環境、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故による葬儀費用としては、計一二〇万円が相当因果関係のある損害と認めるのが相当である(原告らの主張等弁論の全趣旨によれば、原告らは、相続分に応じ、その半額をそれぞれ負担したものと認められるから、原告らの葬儀費用に関する損害額は、それぞれ六〇万円となる。)。
3 損害合計
原告らは、美代子の夫と実子であり、前記美代子の損害合計四二九八万六六三五円(弁論の全趣旨によれば、原告らは、それぞれ、その二分の一を相続により承継したと認められる。)に前記葬儀費用一二〇万円(原告らは、それぞれ、その二分の一を負担)を加えると、損害合計は四四一八万六六三五円となる。
三 過失相殺及び損害のてん補
前記のとおり、右損害合計額中、その七割は過失相殺により控除されるべきであるから、その残額は、一三二五万五九九一円となる。
原告らは、自賠責保険から二六二三万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。したがつて、右過失相殺後の損害合計額一三二五万五九九一円は、既に全額てん補されていることになる。
四 まとめ
右によれば、原告らの本訴請求は理由がないから、いずれも棄却されるべきであるので主文のとおり判決する。
(裁判官 大沼洋一)